上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
小笠原流では結婚式では、角隠しといって男が女(鬼)を退治し、服従させる古事に倣っている。倉本四郎は、鬼退治は根源的に男の女に対する脅威に根ざしていると説く。

また、女装は女の霊力を身に帯びる為の行為であると言う。これはマナ行為で超自然的な行為の反映である。

さらに、尾張のある地域では「屠人放」の神事、男が女装して、童子の藁人形を入れた桶を頭に載せて浜に出て、「今年の屠人は目出度き屠人よ」と言い、藁人形の入った桶を海に流す神事がある。
これは女装と言う憑依行為であり、この神事の後、「弓祭り」の神事では<ボラ・魚>を共食する。

縄文時代には、土偶と言う女性の像を殺し、それを食すると言う神事がある。「土器を焼き砕く、土地と火と死と再生」の顕現で、土地を傷つけ、生き延びる人間の根源的な営為である。


「土偶」とは、大地の精霊と女性の持つ、生殖力を結びつける地母神である。土偶の大半が腹が膨れ、故意に破壊された形で出土する(生と死の輪廻)。

「顔面把手付き深鉢土器」とは、土器の中で食物を煮炊きし、土器と言う女神の体内でご馳走が作られ、人に食される象徴である。

これらの事項は女性を神に近い存在として認識し、人にマナ行為を興させるものとして捉えている。
マナとは超自然的な「物・もの」(もののけ)を自らの中に入れる事で、その霊力になることを意味する。多少の飛躍はあるがそれはカオスであり、宇宙の「気」に通じ、存在の「霊気」と一体になる「魂降ろし」の行為であろう。

人類は未だ、その発祥を解き明かしてはおらず、ビッグバンの仮説さえ仮説に止まり、なおも「生命の起源」さえも解らないまま、現象でしか捉えられないでいる。真実は認識と認識の狭間にあり、その暗黒は未だ謎である。科学は生きる為の「幻想」と言う生活手段である。それ自体、大切な功利であるが、過信してはならない「寄生虫」である。







スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/801-3bff0205
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。