上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
まず、具象がありきで始まり、代償・比喩と発展して、美化されてゆく。

正月「ご神火まつり」の前日は我々は拝観できない、秘事である。
縄文時代には、石棒・石臼は邪気を祓うとして祀られている。それは明らかに「性」が呪事として行なわれていた。性交は太古から「火を熾す行為」に譬えられ、性交から出産までの神儀、つまり「霊力」が「産霊(むすび)」へと発展して、創生の象徴として崇められたのは言うまでもない。「火」は「霊(ひ)」であり、「血」に通じてゆくのは古代人の基本的な考え方で、火切り杵は石棒で、火切り臼を象徴しているのは自明の理であろう。それは生命誕生の「気」つまり、宇宙創生の「カオス」に通じ、その具体的表現が「宇受(うず)・渦」となって表わされたことも肯なるべきである。

私はこの大神神社の「ご神火まつり」は性の神事だと推察する。松明に移された火は「霊火」であり、私は大嘗祭の伝承の日嗣を思い出す。天照大神の鏡(霊・ひ)が代々皇孫へ伝えらる「霊」は聖なる「火」であり、「火」は俗としての「霊」であるのは言うまでもない。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/811-8e60660d
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。