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2014.11.25 火と道祖神。
私は今、「火」についての本質を追求しています。

或る作者は道祖神と火祭りは本質的なかかわりはないと言い切る。しかし、それは皮相的な考察であると思う。

縄文時代に発掘される、石棒や石臼。そして、出雲の「火継ぎの神事」の火切り杵と火切り臼の神火の作成、大神神社のにょう道祭の神火にも杵と臼が使用される。しかも、年末の秘事である。
これは、明らかに性儀の象徴化であろう。元々、性儀は火切りに象徴される。例えば、火を熾すには、板をこする作成方があるが、単なる儀式であれば、この作成法で十分であろう。それが杵と臼を使用する根拠は男と女の象徴としての儀式が祀り化されたと言って言いと思います。

又、「古事記」で見られる、火具土神とイザナミ神の出産の「死」は、やはりそれが創生神話、つまり「生と死」の神話と取っていいと思います。
但し、この神話は縄文から伝わる直接的な行為と比べれば、抽象的な神話形態で後発の付会であろうが、性の神儀の裏付けが見られる神話である事が重要であろう。

出雲の「火継ぎ神事」に見られる、火切り杵と火切り臼の神儀は性交の象徴と見て誤りはないだろう。
ここに私は「火祭り」と「道祖神の性儀」との関わりを見ます。
太古の人間は我々が考えているより、直感に対する感覚は鋭く直裁をえている。彼等は性行為に火を見て、そのそこで出産の神秘的な力(エネルギ一)に霊力を見ていて、その爆発的な力を感じていたに違いない。さらに、我々が永年かかって編み出した「ビッグバン理論」つまり、宇宙創生の爆発的なエネルギ一を呪術者や巫女は「視て」いたのではないかと推察します。
宇宙は古代史的にいえば、「カオス・混沌」であり、具象的な表現は「渦・うず」であろう。珍彦(うずひこ)を思い出します。これは瀬戸内海の激しい渦を表現したのでしょうが、「うず」には混沌の意味があり、「籠目」の神秘的な呪術的な事象を感じます。又、「かごめ」は「目無籠」を言い、元来は神霊の依り代を言います。その形は鱗であり、「蛇」を連想させます。ご存知のように、蛇は再生の象徴で「渦」の事象に譬えられて、宇宙の「カオス」に通じると私は考えています。

そうして深い感覚から性交と火の関連を「道祖神の火祭り」に表わしたと考えるのは、単なる推測の域を超えていると私は考えます。
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