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童謡「カゴメ」は非常に呪術的な唄である。

<かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、何時何時でやる、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面、誰あれ>

子供の頃、私達は何気なく唄っていた童謡である。
今、私はこの無気味な唄に身震いをしている。これは明らかに生贄の人選の唄である。

籠目(かごめ)は目無勝間のことであろう。
「目無」は籠の目を密に編んだ籠の事で「勝間」は竹の籠で、神霊の依り代である。「かごめ」は形あるものとしては、爬虫類の鱗・甲羅で蛇・蜥蜴・亀・鰐に当てはまる。

特に蛇は再生・不死の象徴として表わされ、大和の大物主神はその化身として顕れる。

「籠目」はそれらの総称としての呪術的な物具である。何となく、無気味な書き出しではないだろうか。
そして、「籠の中の鳥は」と続く。「何時何時でやる」と繋げると、何やら精霊が兆す気配を感じる。私の想像では、閉じ込められた「悪霊」が災害や無残な殺戮を引き起こす予兆を想像してしまう。神話的に言えば、イザナミ神の呪いが出現しそうな気配である。
「夜明けの晩に」とは何と矛盾した文章だろう。夜明けは「朝」であり、晩は「日没」である。ここでは時間の概念が破壊されている。黄泉や桃源郷また「邯鄲の夢」のように時間が混沌とする。言ってみれば、宇宙の始の印象を持つ。
「鶴と亀が滑った」とはどういう意味だろう。鶴も亀も長寿の象徴である。そこには不老不死の精神が崩れ去ったかの印象である。時間が破壊され、「籠目」の枠がなくなって、むき出しのオブジェがそこにはある。それが神への生贄ではあかろうか。

この唄は、神への生贄を探す、非常に残酷な詩ではなかろうか。
私は志摩半島の「屠放人」の神事を思い出す。子供を海へ流し、ボラを供食する人質の神事なのだ。多分、海神が子供をたべた神事なのであろう。非常に残酷な行事である。
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