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2014.12.04 赤い牛。
中国地方の伝承の中で、産斎水(うぶゆみず)に興味を感じた。

「比婆郡東城町湯谷の伝承」
昔は湯が湧いていたが、湯元に赤毛牛を埋めたので、湯が少なくなった。

「岡山市笠井山の伝承」
笠井山の薬師堂の傍らに大きな泉があり、清水が湧き出ていた。ある時、不浄の女が泉に落ちてから、泉の水が悪くなり、濁り出した。

輸谷の泉に落ちたのは赤毛牛で、笠井山の泉には不浄の女である。
多分、赤毛牛とは不浄の女(血穢)の代称であろう。私はこの伝承から思い起すのは、出雲の祭主の葬礼に、旧祭主は赤毛牛の背に縛られて「菱根の池」へ埋められるのを思い浮かべる。即ち、旧祭主の終末である。
又、「阿吽の呼吸」の「阿」は<始、息を吸う>であり、「吽」は<終、息を吐く>である。
私はこの「吽」は非常に象徴的な文字であると思う。「吽」はそれ自体は「生贄」を意味し、呪術的な意味を持つ。そこに「牛」が使われたのは、太古からの先人達の大きな哲学ないしは宗教観の伝承を意味しはしないだろうか。「牛」とは「聖牛」・「生と再生」の願いであり、祈りが言霊として吹き込まれていると考える。

<風立ちぬ、いざ生きめやも>

聖牛が「生と死」の実体として代象され、そこに一つの宇宙観を見出した古代人の宗教観はその本質が私には浅学のため解らない。
しかし、「生贄」としての牛が赤いと特定されるのを見ると、それは「火・日」の霊力なのかもしれないが、しれを特定するのは脆弱すぎる認識であるかもしれない。ただ、私の直感は「混沌の赤」を直視する。その「かぶりもの」が赤毛牛として感じるばかりである。
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