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大嘗祭は「古事記・日本書紀」や縄文の風習のを儀式化したのかもしれない。

「貞観儀式」に悠紀殿(天津神を祀る)・主基殿(国津神を祀る)の仕様は<地を鋪(し)くに束草(あつかくさ)を以てし、播磨箕を以てその上に加え、箕の上に蓆(むしろ)を加う>とあり、「延喜式」にも<地に束草を敷き、上に竹箕を加えよ。其の室の箕の上に蓆を加え>と記す。・・・・これは縄文以来の風習であろう。

「産土」の風俗は、産小屋の一番下に砂を敷き、その上に「わらしべ」を置く、その上に「ござ」や「むしろ}を重ね、妊婦は輿の周りに藁の束を巻いて、ぼろ布団に凭れながら蹲踞する。力綱を握りながら子を産む。そして、産婦が入れ替わるたびに、その砂を敷き、藁を替えた。その砂を「うぶすな」と言う。
又、嘗ては産小屋は一回終われば火をかけて焼いた。

氏子とは「産土」で作った食物を食べ生命の糧とした。その根源は「黄泉戸喫」(っよもつへぐい)が原型であろう。そして、その精霊が氏神と言える。

天文年度、「大嘗会儀式具釈」によると、南側の竹縁は幅一間、残り三方は幅半間ずつ、そして南の縁の西の端から半間のところに、幅一間半の階段がつく。その階段は三段で、皮つきの松の木を二つ割りにして皮の方を外にしてあて、その上に平らな板を打つ。つまり高床式である

現在は、悠紀殿・主基殿は高床式であるが、「貞観儀式」「延喜式」によれば、縄文以来の風習で土の上のその室を作った。そして、土の上に作る形式は、明らかに産小屋方式である。
元来、縄文以来の産小屋の方式を受け継いだ「日継の儀式」が、高床式は中国江南の風習であるが、それが朝鮮南部に伝わり、それが北九州に上陸して、八世紀以後、大和朝廷の大嘗祭に取り入れられたのであろう。
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