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2~3世紀に於ける造船技術は遙かに朝鮮半島より江南地方の方が優れていたに違いない。私は一つの仮説を述べてみたいと思う。
「記・紀」において、最初南九州の方が覇権を制していたのは、その造船技術と航海技術が北九州より優っていたと思われる。だから、神武天皇がまず、東征したのは自然な成り行きであって、「記・紀」の記述は的確に現象を捉えていたといえる。春秋時代にも、呉・越ならびに秦は2~300人を乗せられる軍船を所有している。秦の始皇帝は徐福に「不老不死」の薬を得るために1000人を越す乗船者を乗せられる船を建造している。
その移民が野間半島や対馬にやって来たのは単なる仮説ではなく、非常に現実的な出来事であるとしても誤りではないであろう。BC3~4世紀に朝鮮半島ではそんな能力はなかったはずである。そう考えて行くと、強ち(あながち)南九州の方が先に、九州に上陸していて、現地の部族と融合をはかり一歩先んじて、一つの勢力集団を作っていたのは考えられることである。
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