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元禄が徳川幕府の始まりだという説は定説であろう。様々な要因を挙げれば限がない。要は平和の極みが民衆の精神を弛緩させたからであろう。

現在も又、他人事社会である。東日本大災害の援助の精神はひと時過熱したが最早、ここに来て他人事であろう。
また、沖縄の普天間移転、辺野古の横暴な民意を無視した暴挙を大和ンチュウは他人事の視線で見てみない振りである。特に酷いのはマスゴミであの横暴さは現在の中国の横暴さと同様の民主主義の破壊に等しいのに表示行為は見当たらない。誠に静かなものである。

この緩やかな神経は川崎の少年殺害事件にも言える。

あの母親は生活の為、仕事を掛け持ちして子供の心の問題に寄りそうことが出来なかった。つまり、賃金が安いので掛け持ちを余儀なくさせられたのである。行政は大企業に非正規労働条件を緩和し、正規労働者を減らし、利益追従の悪法を容認している。その弊害が川崎の母親に凝縮した結果の事件である。イスラム国・後藤氏殺害の傍観的態度もそうだが、この政府は口先は一人前だが心は冷たく無視を貫く。その口先に多くの愚民は寛容である(政府支持率が五割を超えるのは愚かな心の醒めた人間が五割存在するということだ)。

私達は今、想像力と追求心を問われている。その批判精神こそ大切なのである。自分だけが平常なら、以てよしとする精神は元禄の崩壊を学んだことにならない。
私はかねてから、「緩やかな干渉主義」を提唱している。それは日本人が持つ「優れた融和精神」つまり、多神教信者のもつ優しさを回復したいという欲求からである。

私が子供の頃、半身不随の父親から夕方の帰宅を言いつけられたが、新聞配達をしていた私は暗くなっても遊んでいた。それを咎められての折檻で叩かれ、家から出されたのである。
それを見た近隣の口先婆ァがとりなして、一呼吸置き、父親に取り成してくれた。私にとってこの「お節介」は暖かい尋常であった。敗戦直後から数年はこの「隣組」精神は存在していた。

しかし、米国占領軍(特にマッカァサ一のアングロサクソン民主主義の押し付けの教育)が行った個人主義に徹した教育個人閉鎖主義を生み、我々の良所を骨抜きにしてしまった。まあ、敗戦国民としては仕方のないことだといえばいえるが、しかし我々は教訓として、「強かさ」を持つべきであった。日本古来、果ては「縄文」、聖徳太子の「和を持って貴しとする」論ではないが、根底に一万年を掛けて育んだ「縄文融和精神のDNA」は堅持する賢さは必要であったと今更、私は思う。
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