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海幸彦・山幸彦神話は天孫と南九州の先住民・隼人を同族としている。ここでは隼人を海の種族としている。

滝川政次郎師が唱えた江南海人族の渡来人を隼人族とする。しかし、隼人は曾族が大和朝廷に服属した熊襲(熊曾)の事で先住民族と思われ、安曇系の隼人(江南族と隼人の混血)を言っていると思われる。

「古事記」では神吾田津姫(コノハナヤサクヤ姫)とニニギ命が血縁したと述べている。そして、その親が大山祇命とする。吾田は隼人の別称で神吾田津姫は曾の地から、何らかの理由で笠沙(野間半島)に寄留した巫女であろう。「日本書紀」では(一書の第七)で大山祇神は迦具土の子としていることから、霧島山麓・大隅地域の先住民と言う可能性は濃い。つまり、大山祇神は「火」と関わる種族であろう。

一体に縄文時代から南九州は火山の大噴火と格闘した種族が先住しており、独自の文化を形成している。象徴的に上野原遺跡やかこいノ原遺跡は一万年前より竪穴式住居での定住を行い、かこいノ原遺跡では丸木船の製造の痕跡を残している。縄文時代の海の隼人(曾族)は北は東北、南は沖縄まで交流の可能性を秘めている。南九州から沖縄までのかこいノ原文化圏は海人族的な交流を指していて、その圏内にある種子島には東北の「亀ヶ岡土器」が出土している。それは対馬海流とリマン寒流を利用して交流していたと思われ、古代の海人族の航海は潮の流れや星・風、渡り鳥や魚の回流等を熟知しており、我々が考えるより遠くにまで航海していたと推察できる。

それは南九州が独自で高度の文化を有しており、黒潮の流れを利して中国・江南地方との交流も想像できる。
七世紀の「晋書」や「梁書」に<倭(和)の太夫(官僚)は呉の泰伯の末裔>と記している。又、林羅山が「神武天皇論」でも同様の記述をしている様に南九州は江南との交流があったとする傍証ではないかと考えられる。

それらは、南九州が高い文化を持ち、中国や南方、北は東北まで交流があったという伝承が八世紀の「古事記」の選者にとどいており、それが隼人伝承に反映されたと思われる。

それでなくて、天孫の神話が北九州や出雲ではなく、南九州から始めるという論理を説明出来ないように思える。
もし、私が「古事記」の編者なら、八世紀の大和の知識人は朝鮮系帰化人、百済や新羅の氏族と大和の先住民との混血が定説で、北九州系の種族が中心であったと思われ、北九州の芦屋や高良山の伝承から始めるのが自然だと思われるのに南九州からの「天孫降臨」神話はそれなりの史実を踏まえていたからだろうと思われる。
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