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安倍首相は、参議院の答弁で「自衛隊」を「我が軍」と答えた。かつて、安倍首相は「自衛隊」は軍隊ではないと答えている。思わず本音が出てしなったのだろう。

これは首相が日本が軍隊を必要としていると思っている証左であろう。

この人の根本的な考え方は「力」の行使の法律化なのである。私はかつて、安倍氏の思想を古い形の「富国強兵」策だと説いた。首相は「富国」つまり、経済的には大企業を盛んにして、そのお零れを国民がいただく。

過去にアダム・スミスの「富国論」の近代的な焼き直しなのだ。ただ、アダム・スミスは、勿論古い形ではあるが、倫理観・「予定調和」(神の思し召し」を置く。それは既に消滅してしまった。しかし、哲学としては大事な事である。
ミレ一の絵画「落穂ひろい」はその象徴だと言われている。地主が稲の全てを刈らず、貧者のために「落穂」を残し無償で与えるといった。神を信じる倫理観の絵画化である。
「自由経済の歯止め」はこうした倫理観が偏りを阻止していたと言う。その抑止力を取り除くと、取り留めなく権力(飽くなき欲望)が一人歩きしてしまう。大事なのは、世界(人と自然が構成する)を深く、広く観る眼である。その哲学を持たない人間は「力(慾)」に走り、危険な方向に人を導いてしまう。

元来、日本人は、多くの人や物(自然を含む)に人格を意識して、それを認め、他を思いやり(意識し)、対話する精神持つ。その根源は一万年続いた縄文時代からの「多神教」の全ての「物」には精霊が宿ると言う哲学が存在するからであろう。
その融和精神がなくして軍の行為は危険である。いや、本来、力より対話が日本人の心の根底に沁み付いているはずである。西洋の合理的な発想は「一神教」なので「神への教え(教条)」や「掟」が物事を決めてしまい、「力」による行いを実行する、その精神に対抗策を私達は持たなくてはならない。

先に、私は情報の先取り、孫氏やマキュアべりが説く「戦争による実行の行使より、情報に基ずく戦争の阻止」を一考しようと提案した。そして、その阻止の政策を「融和の精神」に求めるのが最善であると表現したと思う。

安倍氏にはそうした哲学が欠如しているように思われる。非常に短絡な旧来の「富国強兵」策に終始しているように思われる。

私達はそれを看破し、批判する精神を行使しなければならい。後から来る若者の為にそれを叫ばなければ、戦争と言う人殺しの行為を阻止しなければならないのだ。
確か「君子論」には、戦争は多くの人間を失う、それを阻止する方法を人は考えなければならないと言う提案をしていて、記憶の間違いがなければ、それがスパイ行為としていたと思うが、それも一考を要する提案だと思う。
徳川時代に各藩を監視する為に忍者、特に「草」による藩への浸透を行使している。

「草」は数代かけて各藩へ忍び込み、有力者として根深く潜り込んで究極的な局面で幕府に通知し、廃藩に追い込んでいる。この政策はマキュアベリの政策に近い。

日本人は太古から、自然とも調和し、人との融和を大切にして生活をしてきた種族である。自然を循環させ、人と対話して生き伸びて来た。
今、地球は汚れ、人は殺し合いに走っている。私達は我々が本来持つ「対話」による<和>の精神でそれらに釘を刺さなければならないだろう。
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