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敗戦後70年に当たり、昭和20年12月に米軍兵士の無謀な偽射によって半身不随の父は日米の両政府から何の補償もなく鬼籍に入った。その思いは無念の一事である。

そんな時、天皇陛下がサイパンに慰霊訪問にお出かけになられ、そのメッセ一ジの中の全ての御霊に捧げられた慰霊のお言葉に新たな感激を受けた。

それは辺野古米軍基地建設と基を一にするものと思われる。また、平和の裏表にある憲法遵守の裏表にもあると思います。
平和的手段は大変難しい問題であり、あの慈悲を謳う仏教でさえ軍神を必要としている。真の平和は無防御へ果たせるのかと言う問題が残るにしても、力による無謀な暴力に打ち勝つ平和論が構築されるのはどの様な方法論があるのかは一つの課題ではある。

しかし、天皇陛下の平和を思われる心には、私は心から賛同を惜しまない。
嘗て、おの無謀な戦争に引きずり込んだ原動力の一つとなったのは、一部愚かな陸軍であったと思われる。(勿論もっと複合的に原因はあるが)そして、その手段の一つに、迎合を煽る姦計と陰険に背後で操る恫喝にあった。
今、私達はこの目に見えぬ恫喝の恐ろしさをはっきり認識し、見抜き、排除するのが大切だと考えます。一面的な浅知恵を見抜くのは過去を内省する知恵と想像力、洞察力なのです。
私は天皇陛下がそれを暗に諭しておられるような気がしてならないのです。その平安お望みになるお心は大震災の東北を訪問される振る舞いやお言葉、そして東京で開催される慰霊祭に於けるお言葉にの表れているような心がします。
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