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非常に興味ある映画であった。細かい所を言わして戴くと「縄文号」ではなく「弥生か古代号」であろう。丸木船を製造する際、縄文人は砂鉄製の斧は使用しない。通説では丸ノミ製の石斧であろう。

しかし、最初から手製で丸木船を造る行程は素晴らしく。自然、海や風、潮の流れ、星、台風などの自然の脅威や受納が必須の情況は自らの意志を越える。つまり、死と向かい合って航海する実感は伝わって来る。それは自然任せで、危機状況には祈るしか方法がない。主役はスラウェシ島のマンダ一ル人なのだが、彼等が「精霊」を信じ、イスラム教に帰依する(多分、後からの信仰であろう)のは理解できる。東日本大震災の猛威を我々は為す統べもなく、祈るしかないのを経験している。自然に対する畏敬の原点なのだが、科学を妄信している近代人は「愚かな驕り」を剥きだしで、その原点を素直に受け入れる正しさを理解出来ないだろう。

インドシナから沖縄・石垣島までの航海は風と潮流と島伝いの日々で、海の広さ、恐ろしさは画面を見ていても、言い知れぬ虚しさを実感できる。
多分、縄文時代の海人族はそうした自然の脅威を身に受け、「神や精霊」を信じるしか生きるすべを持たなかったのであろう。舟を製造する時の神に祈る神事は命の意志で、舟霊(ふなだま)は自らの守護神だったのだろう。
いずれにせよ、この映画は私にとって重要な認識を与えてくれた。
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