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2015.05.20 神話と史実。
予てから気になっている「天孫降臨」の神話である。
日向の高千穂の會にニニギ命が降り、野間半島の笠沙へと真来通る。その拠点には、現実に上野原遺跡が存在する。又、笠沙にも同時代(縄文草創期)のかこいノ原遺跡が発掘されている。

上野原遺跡は大隅地域(現国分市・旧桑原市)にあって、集積遺構・連結土坑・平底丸型土器・大壺・石皿・敲き石・石斧・土偶・耳飾などが出土し、竪穴住居や道なども整備されている。
ここで注目すべきなのは、集積遺構である。これは獣肉や魚を蒸す装置である。それは大きな甑と」いっていいと思う。

白川静師は「字通」で會は「甑」に通じる。と、述べている。「古事記」(日本書紀では・襲そ)の記述が「會」としたのは単なる偶然だとは思えない。それはニニギ命が「會」の地から笠沙に移動している事実が妙に神話と合致するからである。

神話ではニニギ命は吾田の地で、笠沙の神吾田津姫と出会い、血縁をしている。
吾田は隼人の別称で、野間半島の海の隼人(薩摩海人族)の象徴的な人名である。史実的に言えば、現・加世田市の遺跡である、かこいノ原遺跡が存在していて、そこには上野原遺跡と同様の遺跡物だ出土しており、ただ、かこいノ原遺跡には竪穴式住居は見当たらず、その代わりに「丸ノミ式石斧」が出土している。「丸ノミ式石斧」は丸木船を造る道具であり、大隅諸島・トカラ諸島・種子島から沖縄までの「丸ノミ式石斧文化圏」を作っており、南方海人族の勢力文化圏を形つくっている。
つまり、神吾田津姫はその薩摩隼人の海人族の象徴的巫女であると私は考えている。
この神話と史実の奇妙な一致は単なる偶然なのだろうか。

八世紀の識者は考古学を持たない。だから、考古学事実は認識する事は出来ないはずである。しかし、この考古学と神話の一致は私には単なる偶然だとは思えないのだ。
巫女が歌で古伝承を伝えたとして、又、縄文からの呪術者である古老が太古の記憶を何らかの方法で伝えたとして、その方法は何であったのだろう。

ユングは集合的無意識が古い時代の記憶を夢で伝えると説いている。柳田国男は「祖霊と言う無意識の集合体」と述べている。小説家・夢野久作は太古記憶を「その人間が先祖代々から遺伝してきた心理作用の集合体にほかならない」と「ドグラマグラ」の中で記している。小泉八雲が確信した再生や転生の観念ははるかな過去に蓄積された記憶の再現以外の何ものでもない。と、谷川健一師は「魔の系譜」で述べている。

私は八世紀の「古老」や「歌巫女」たちが、伝承やそれにまつわる夢の顕現によって縄文草創期にまで読み取っていた可能性を否定できない。
DNAの構成要因は環境と遺伝子の相互関係で成り立っていて、膨大な環境修練の繰り返しがDNAに定着して、ふとしたキッカケで表出する事、それが「夢」であり、巫女の持つ「霊感」であるのかもしれない。その証明は残念ながら証明が出来ないが「仮説」として示す事はできよう。
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