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大神神社へ6月7日に参拝した。水田となだらかな山並みに囲まれた大神神社は日本の源郷である凛とした趣があった。
三輪山とその山並みはまるで大蛇(おろち)が横たわる如く、釈迦が横たわる如く山並みから何かが生まれそうな雰囲気がある。そして、清らかな湧き水が染み出る山道は冷厳としてそれが裾野の水田に注ぐ。そこには秋に収穫される稲束が想像される。
その摂社・狭井神社の祭壇には卵が置かれていて、三輪の神である蛇への供物が置かれているのが特異である。

蛇は「日本書紀」によれば、迦具土がイザナギ命によって斬られた身体の三つ・雷神、大山祇神、高オカミつまり高オカミの蛇にまつわる。
私は大神神社・にょうどう祭の「ご神火まつり」を思い起こし、その祭神である大物主神(本字は雷の心を持った神霊、それは蛇の姿に顕現する)は火の神に一族を思わせる。

この大和の地は蛇に抱かれた大地と言う神話の真髄が私にはひしひしと伝わってくる。

「日本書紀」では崇神紀で、国が衰退した原因が宮中に「大物主神」と「天照大神」を一緒に祀った祟りであったとして、三輪の檜原神社に祀ったとする聖域をも私は感じることが出来た。

そこは明らかに日本(和)の源郷であろう。宗教は現住民の心と生活の基盤となる。それは生きる民族の身体の隅々まで支配する。黄泉喫(へ)ぐいを習うまでもなく、土地は生きる原動力であり、血肉であるのだ。それを変革するには相当な年月を必要とする。崇神紀の国の衰退は「大物主神」信仰から「天照大神」信仰の変革がもたらした弊害と私は理解しており、そこには日本民族の長所と欠点が明らかに顕現した大事件だと思っている。そうした日本の原点を実感した気がして、今度の「大神神社」訪問は人生後半の重要な経験でした。
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