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私は「古事記」「日本書紀」を読み進むうちに二つの言葉に行き着いた。勿論、まだ道半ばで決論ずけるには時期は速いような気がするが、現実の政治状況は劣悪なので、発言せざるを得なくなってしまった。

その説話は「黄泉戸喫・よもつへぐい」と「東に美(よ)き地(くに)あり、青山四周(めぐ)らす」である。

「東」は抽象的な言葉で、太陽がのぼる地域で、<山には獣を育み、野には豊かな実りを>約束をする「陽の国」を謳歌することばである。そして、「黄泉戸喫」は所属する地域の食物を食べた結果その地に拘束されていると言う「哲学的な言葉」なのである。

古代日本は、地域は各々、生産の特徴があって、その土地を崇める生き方が特徴であった。その結果その地域に存在する「神」つまり氏神が住み、そこに居住する氏子がその神を崇めると言った精神が沸き起こったのだといえる。
それがイザナミ神を追って葦原中国から黄泉へ言ったイザナギ神、「まだ葦原中国で夫婦はやり残した事がある。戻ってやり直して欲しい」と頼むと、イザナミ神は「私は最早、黄泉の国の食物を食べてしまった。ですから、その地の根源的な掟に拘束されたいます今、その地域の王にお伺いを立てなければなりません」と答える。

私はこの神話に日本の根本的な哲学が存在すると考えています。古代に於いて、地域の重要性はこの生き方に「神」をおき、そこにそれらの情況を敬う氏子が存在すると言った根源的な存在感が生まれたと理解している。

今、地方創生が取りざたされていますが、基本的にはこの「古代の神話」に日本(大和やまと・おおわ)の情況を生んだとおもいます。

大和はどう考えても「この言葉」を大和と読むことは出来ません。私は、ここに日本独自の言葉の会話と文字に於ける二面性をみます。
古代に於いて、定説では日本(倭つまり和)には文字を持たず会話が伝達の手段であったと言われます。文字はその後中国の文明である「漢字」を取り入れ、和漢混合の文化状況を作りだしたと言う訳です。

その結果「大和」を大和と呼ぶ経緯を生んだのです。「大和」は明らかに、「おおわ」でしょう。
それは当時、古来から地域の主体性である「氏神・氏子」の体制が万全として存在していたのを南九州からやって来た神武政権がこの宗教形態に近い土地を根本に置く哲学を新しい宗教である「天照大神信仰」で統治しようとした大和朝廷が支配をしようとした結果が「大和おおわ」の思想であったと思われます。つまり、日本の根本的思想である「融和」の哲学が創生されたと言うわけです。
私はその思想が地方創生を産む根本的な発想だと考えます。

日本の首相である安倍氏は「美しい日本」を提唱しています。私が安倍氏を非知性的と言うのは保守主義でありながら真の保守である日本の古代まで遡った始原の思想を理解出来ていない愚かさにあるのです。
あの多くの国民と政治家・マスゴミが排除した政治家・小沢氏は私が知るところでは、仁徳天皇の「国見の思想」に触れています。勿論、私と小沢氏では思想的には少々隔たりがありますが、まだ安倍氏の皮相な発言より重みがあります。小沢氏の地方創生にはその根本的な日本の思想に触れている点で私は評価します。

私は国民の主体性を重視します。その始めは縄文から古代と言われる八世紀までの思想状況に顕れていると考えます。少なくとも日本の政治家と言われる人にはそれらの思想に触れて欲しいのは基本的な考え方ではないでしょうか。特に保守を自認する阿部氏は古代の書物特に「古事記」には目を通して欲しいと思います。

しかし、偏狭な民族主義を産む「古代史の思想」ですから、大局的な俯瞰の精神が重要なのは言うまでもありません。
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