上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私は今、「大物主神」と「物」について興味を持っている。
「物」とは、物質や物の怪などの意味があるが、古代史に即して言えば、精神的な意味合いが濃く、例えば、白川静師の「字通」を引くと<霊的な識らざる領域のこと>とある。「物」の偏は「牛」で、牛は犠牲の最たるもので、神への祭壇に生贄として捧げられる。又、<忽」は弓体に呪飾をつけた形で邪鬼を祓い、禁止の意味があるとする。
そこで「物」とは、神にたいする祈りのために供物を捧げる呪動を意味する。

「大物主神・おおものぬしのみこと」はその「物」が基本的な意味を表わす。つまり、霊的領域に関する呪術者が起源であろうと推察する。又、一説にはその末裔である物部氏は縄文時代からの土器製作者との説もあり、仮説ではあるが、縄文時代の地母神である「土偶」はこの首長である大物主が製作した可能性は濃厚である。

元来、物部氏は北九州の先住民族だと思われ、それが大和へ東遷した際に大和の氏神「大物主神」と通じる精神的領域があり、融合したのではないかと私は推察している。大物主神は一説には、饒速日命と同一だという見方があるが、それは両神の資質が同様な構造なのがその一端であろう。つまり、両神は縄文の呪術的な存在を表わしており、霊の領域で語られる存在ののである。

その現実的な姿が物部氏で、史実には物部氏が霊の領域を司る職掌であり、その延長上に軍事的な役目を付加された考えるのが妥当であろう。物部氏が刑事的な殺傷や巫女などの刑罰による殺傷が許されるのは、物部氏が神の領域にまで踏み込むことを許される種族であるからであろう。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/896-0cf05f25
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。