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私が古代史に興味を持ってから5年が経過している。まあ、知識としては目に留まり、ユングの心理学を通して神話には興味を持っていた。旧約聖書やギリシャ神話それに南方特に、ニュウギニアあたりの神話は読み漁ってはいた。しかし、それは好事家としての読書で実になってはいなかったと思う。

とりわけ、川内丸山遺跡は縄文遺跡として深く記憶はされていた。私が興味を引いたのは建築業社の「大林組」の調査であった。その後、思うことがあって、初代・神武天皇に興味があって、調べて行くうちに、鹿児島・「上野原遺跡」や「かこいの原遺跡」に触れる事になり、多くの古代遺跡を知るようになった。

私は和人(倭人)の軌跡が知りたくて、そこに注目して古代史を読み取ろうと努めてきた。しかし、我が和人たちは文字を持たない習性から無口な種族でその真の姿を中々現そうとしない。ただ、縄文の遺跡を探ってその高度な文化は文字なくとも、伝承で語り伝わり、文化として成り立っていたのは理解できる。つまり、知識水準としては確かな水準にあったであろう事は解かる。
古代の和人は、特に南九州を基点として、南海・沖縄に至る海を丸木船で通行していたのが解かる。
弥生時代は中国や朝鮮半島の金属、農耕文化は技術的には上位にあった事がわかる。特に、北九州は先住民族や中国、朝鮮民族が散在して、多くの国を造り、群雄割拠していたであろう。それを支えていたのが、金属文化であり、農耕文化である。とくに水稲文化は、米を貯蔵する事が出来、増える人口を支えて国力を増大する礎になったであろう。北九州には水耕農耕を行う地理的条件が揃っていた思われる。

しかし、南九州はシラス台地で農耕に適していたとは思われない。ただ、黒潮の関係で中国・江南や南方との交流はあったと思われ、それなりの情報は収集できていたであろう事は容易に理解できる。
神話といわれる「神武東征」は情報通の南九州の豪族が現状分析をした上でこのままでは勢力争いに敗れる予測を持って、自らの勢力を保持できる土地を探っていたに違いないのだ。「神武東征」はその顕れであろう。「古事記」が記した記述はその事実を神話風につずったのが「神武東征」である。
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