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南九州の皇孫は有力な情報通である安曇族を配下に持っている。その首長が塩土老爺である。長兄・五瀬命との協議で塩土老爺の助言を受け入れ、東征を決めるのだが、その根拠は北九州の国力増強、つまり稲作の伝承により貯蔵が出来ることが人口の増加を支えることが兵力増強に繋がり、確かな情報を把握している南九州王朝を震え揚がらせる結果となって(南九州はシラス台地で水稲の栽培には適していない)、新天地を模索していたといえる。海人族・安曇氏がもたらす情報が神武天皇等を動かすことになるのだが、それより先に饒速日命が物部氏を率いて大和へ東遷していたと言う伝承はもしそれが史実であれば(私は史実だと確信しているが)、非常に意味の深い記述である。(後に明らかにしようとは思うが、今は差し置く事にする)

宇佐・岡水門(この地は物部氏の本貫地である)・安芸・吉備と渡って、大和へ行く行程は又、私には興味を引く。

かつて万世一系といわれ純粋民族のように喧伝されたが、神話や伝承を通じても天孫の系譜は先住民や渡来民との混血を繰り返しており、特に私の注目するのは後進性のある先住民がその生き残りをかけて、彼等の優れた知恵を絞って母系で血を繋ぐ快挙に出ている事である。歴史家は「古事記」や「日本書紀」を創作の産物と侮っている為だろう、父系には深く触れる事はない。
私は初期皇孫は「あま」からの移住者、つまり渡来種族だと推測しているので、それらの種族は女性を伴わない情況にあって、郡然にも先住民の女性を娶らなければならない情況にあったと考えている。

何れにせよ混血種族の南九州王朝は中国・江南の文化を認識しており、その兵法や戦略戦略、また灌漑技術や農耕技術にも精通していたに違いない。それなのに、大和での長髄彦に苦戦したのは、先遣隊の饒速日命もまた先進技術を体得しており、長髄彦に伝わっていたからだろう。その上、長髄彦は大和の先住民族・戸畔族、猾族(うかしぞく・蝦夷の系譜か)、磯城族、国巣族、土蜘蛛等の首長として偉大であり、統率力にも優れていたからではないだろうか。

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