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小川氏のヤマト論を興味深く読ませてもらった。小川氏は特に、ヤマトを弥生時代・古墳時代を中心に論じられるのだが、この時期は中国江南や朝鮮半島からの渡来民族がヤマトの地へ先進文化を持ち込んだ時期である。金属文化や
水稲灌漑文化そして文字文化をもたらした画期的な時期でもある。
しかし、日本列島は縄文以前からの所謂、原和人(げんやまとじん)が先住しており、この種族は多神教で文字を持たない伝承文化を有した原和人が特殊な文化を形成していた。文字を持たない為、無言の表情は史実として語りにくいのは当然だが、しかし日本文化を語るにはこの無表情な文化を解明しなくては真の日本文化を語ったことにならないであると思う。


小川氏はヤマトと出雲の関係をその弥生時代の文化を捉えて語られている。梅原猛氏も大和から出雲へ流された神々について言及されているが、私は各地域にはその土地に居つく先住民族が居住しており、所謂「黄泉戸喫」の確固たる原住意識で生活していた人々がいたに違いないと確信しており、その土地に対する強固な先住意識はかなりのエネルギ一を有しており簡単には脱ぎいされない命の元があると考えている。
その地に侵攻するには並大抵の力では侵攻できないのは言うまでもないであろう。
「古事記」の神話?で言えば、ヤマトには先ず、物部氏を率いて饒速日命がヤマトへ侵攻しており、何故か(これは重要な要素なのだが)長髄彦と融和しており、妹の御炊屋姫を娶り、宇摩志麻始命を生んでいる。その後、南九州から神武天皇が侵攻してきて、ヤマトを謀略をこめて征服する。そしてその謀略者の宇摩志麻始命を出雲の岩見へ流している。その岩見の物部神社こそ、その軌跡である。
多分、この物部神社の由緒が出雲の本願・熊野神社や出雲神社ではなく、岩見である事が焦点である。それは宇摩志摩始命が渡来の種族であったからに外ならない。私はそこに先住種族の土地に対する強固な意識を感じる。
少々、前置きが長くなってしまったが、私はヤマトの地には「大物主神」信仰が強固に定着しており、それは縄文時代かなの信仰ではなかったかと思う。永年の信仰は生活に根を張っていたはずで、それを壊すには驚異的なエネルギ一を必要とする。その気球つが崇神天皇紀の「祟り」の神話であろう。私はそのくだりは宗教戦争の記述と捉えている。「大物主神」信仰と「天照御神」信仰の葛藤があの表現になったと考える。
小川氏のヤマト論の前段階、ヤマトの縄文記述を知りたいものである。
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