上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私は出来うるだけ、物事を根本から考えるようにしている。それには限界はあるのだが、その積み重ねは後日に必ず生きてくる。
若い頃、「時間」について追求して不眠症に陥り、登校拒否をした。

例えば、小選挙区制を施行しようとした時、私は日本人の始原まで遡り、私達の究極の思考法から言って「一つ」に限定する事をしない。多分に選択を残して事を選ぶ。だから、米国の物まねである小選挙区制には反対した記憶がある。
又、「世襲制」は日本人の群がる悪癖や経験を積まない当事者は本当の苦しみを理解しない、観念的理解力で物事を決めようとするので必ず、齟齬を生じる。

政治を語るとき、その総合を意識すれば、教育や躾、立法時の国民の情況やそれへの影響を立体的に考えをめぐらす、それが想像力に繋がるのだが、そうした過程を考えてみる事から始める。今の世相は時の施政者から巧く操られて、物事を深く考える人より、個人の利害や経済的傾向を優先するような思考法を植えつけるように縦横斜めとあらゆる視点から規制をされてきた。その
一つ一つが立法なのだが、私達は「象」を観るのに「部分」しか観ないように訓練されてきたと言える。
大事なのは、「もの」が始まる時、そこで立ち止まって、想像力を働かして十分に考える習慣を養う習慣つけるよう実行すべきなあのである。
「考える・弱き葦」は慎重に考えて(想像力を働かせ)、行動すべきなのである。あらゆる取り決めは時の権力者が握るのは世のたとえなのだから、「弱き葦」は熟慮と言う武器で対抗するしかないのである。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/911-791d276d
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。