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各地で災害が頻発し、火山の噴火があい続き(次ぎは霧島山か)、思慮の浅い殺人事件が勃発する。なにやら、私の胸に不安が沸き起こる。

母親が自らの幼児の頭を殴打し昏睡させる。私は男であるが、身の毛がよだつ重いを禁じえない。母親である。自らの腹を痛めた子なのだ。鬼畜と言うより悪魔である。この母親にその時、何が去来したのだろう。再三泣く子が憎かったのだろうか、常識的には誰もが母親なら経験する育児であろう。それを乗り越えて子を育てて行くのが通常である。
が、この母親は自分の感情を抑制できず、ただ、子供を黙らせるために頭部を殴ったのか。
私は日頃、あらゆる所で日本人がモラルを押さえきれず、いや、その事を意識せずにだらだらと或いは自分のことのみを考えて行動する光景を見てきた。・・・・家庭の躾や公的機関の教育、そしてそれを伴う環境が劣悪なのを観ている。教師はい自他共に職業人に成り下がっていて、PTAと称するモンスタ一は考えることなく権利主義を振りかざして教育に口を挟む。私は教育の場はある意味の聖域であると思っている。過度の暴力は戒めるべきではあるが、そこに教育の志が見られれば、黙認すべきであると思っている。
しかし、日本の戦後教育は欧米の西欧主義とも思える権利主義を取り入れてしまい、私達が元来持っていた緩やかだが、お節介に近い干渉主義をも排除してしまった。私はその国々には風土があって、それが精神文化を志向してきたと思っている。

少し話題は逸れるが、今、私は遅ればせながら古代史学んでいる。古代はその土地を非常大切にする。氏神思想は詰まれば土地神思想と入れる。地産地消、その土地のものが血となり肉となって文化を形成するとされてきた。「古事記」にある、イザナミ女神が黄泉の国から出るのはその黄泉の食べ物を食べてしまったので黄泉の国からは出る事が出来ない。所謂「黄泉戸喫よもつへぐい」である。この神話にもあるように土地と文化には切っても切れない関係があると教えている。

長くなってしまったが、風土とはそういう意味を孕んでいてそう簡単に消し去る事が出来ないものなのである。それを敗戦で米国の強制的なアングロサクソンの民主主義とやらを押し付けられ(マッカァサ一発言)、いとも簡単に日本の太古より培ってきた文化を譲ってしまう。その着せ替え的無理が薄っぺらい民主主義を根ずかせ、本来の日本の心を失われるはめになってしまったと言える。

私は今、思うに私達は今こそ我々が綿々として培ってきた日本の独自の文化を取り戻さなければならないと思う。
端的に言えば「融和精神」平たく言えば平等主義・思いやりの精神の復活だと思う。
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