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私は古代史を始めてから、「古事記」の熊會に興味を持っている。熊は本居宣長が言うように意味を強める言葉であろうと思う。

問題は「會」である。
「會」は、蓋(ふた)のある食器を下から甑で蒸す形とあり、蓋をする事から「会う」の意になるとする。
白川静師は、この食器は祝寿や盟誓を収める器(うつわ)としています。
私はその言葉には非常に畏(おそろ)しい意味を含んでいるような気がしてなりません。つまり、それは神と人の約束、<生贄いけにえ>であるような気がします。何を神に捧げるかと言えば、太古の伝承でよく見られる<人を生贄にする>事ではないかと思われます。
食の起源神話では「食人」が語られます。日本の古くからの神事である「直会なおらい」もその始原は、神と人の誓約の証(あかし)、生贄を仲介とする神事、具体的に言えば「食人」が儀式であったと思われます。

「食人」は元来、マナ行為で「命の意味」が謎な為に、その総体を飲み込むことによって「神の領域・命の始原」を自らのものにする神聖な行為(神事)が根本にあると思っています。
「神」に近ずく神事が直会の本来の意味だと解釈していて、「會」にはそう言う呪術的な意味が込められていると思います。
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