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私は大林組の古代の建築様式を研究していることを評価したいと思う。

今、大林組が書いた「三内丸山遺跡」を興味深く読んでいます。
五千五百年前の遺跡で、千五百年は続いた縄文遺跡である。突如、消えてしまった遺跡なのだが、三千から二千年前は世界で大洪水が興り、ノアの箱舟やエジプト・中国<啄鹿の黄帝と三苗族の戦い>の神話の核になった時代である。多分、「三内丸山遺跡」もまたその時期にあたります。消蹟の原因もそんなところにあると私は考えています。

大林組はそこは触れていませんが、二・三、重要な分析をおこなっているので、述べて見たい思います。
一つは高殿の建設であり、生活と遺跡の関わりです。
大林組は日本の建築の悪ない追求は驚嘆にあたります。外に「出雲大社」もありますが、「三内」の高層建築の追求は興味を覚えます。
20米ほどの高い櫓で諸説ありますが、クリ大木で支えられていて根元には輸入したアスファルトが塗られています。素材のクリの木もまた、自家栽培の可能性が考えられていて、明らかに高度な文化の軌跡が表れています。又、二百人を収容する集会所の建設も原始共産制の息吹も感じられ、平等な分業が行われいた形跡も見られるのです。そして、多くの竪穴式住居について「大林組」は興味ある分析をしています。
建築家・川添登さんだと思いますが、竪穴式住居は日本の湿気の多い気候では不適切だとされています。本来、北中国或いはシベリア・バイカル湖付近の狩猟民族の住居形態だとされています。その住居が縄文の長い時期、続いたとされています。確かに、地面には湿気が充満して生活・特に寝床には難点があります。そこで「大林組」は一階は火を使う台所で中二階を作って寝床にしたと仮説します。遺跡は日本では木製部分は残らないのでそう判断したのです。

大林組は生活と遺跡を考察する姿勢は優れた精神だと、私は敬服しています。
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