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私は大手建築業者には批判的である。本質的には文明にとって悪であると考えている。特に日本の哲学的思考には逆流している企業だと思っているほどである。
しかし、大林組の古代建築への研鑽を知ると、その批判も半ばであると感じざるをえない。

大林組の三内丸山遺跡や出雲大社の研究を知るに付け、大林組も捨てたものではないと見直してはいるのだ。

今、私は大林組の三内丸山遺跡の研鑽を見ていると、大林組の縄文時代の認識が並大抵な見識ではないのが知れて興味深い。
特に、考古学者とは異なる想像力推考には新鮮な驚きさえ感じ入る。例えば、竪穴式住居が日本の住居様式では不完全なものと批判的であるが、縄文人の知能知識の深さから、寝室を中二階に設定し、その延長上には高床式住居を推定しながら、その利便性を説明している。又、大集会場を社会的文化の深さを示し、巨大建築を多面的な見地から考察している。祭祀や展望台の役目を説き、安に他国との交易を推考させる優れた見解を述べている。私も縄文時代の交易の広範性を推奨する立場から大林組の見解が優れたものであると思っている。一万年続いた縄文思考は日本人の深層心理に深く根ざしていると思っている。そして、私達が思っている以上に文化的には優秀な内容を示していると考えている。いや、ひょっとすると並みの現代人より思考の深さは上位ではないかと推察さえしているのだ(ただ、文化技術はその時間性から現代のほうが利便性は上位なのは言うまでもない)。

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