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南九州・鹿児島は今から約二万五千年、現在の鹿児島湾で巨大な噴火が起こった。この時噴出した火山灰によって出来た地層は北海道でも確認され、南九州にはその火砕流により、所によって厚さ二百米にも及ぶシラス台地が形成された。しかし、鹿児島国土は高温多湿の気候に恵まれ、豊かな樹林と其処に生息する獣達の採取・狩猟そして鹿児島湾の漁猟によって、生活環境は維持されていた。
つまり、曽於の地は、曽於族が先住しており、この地を専住していた。その文化の高さは、曽於の地・国分市(旧桑原郡)から発掘された上野原遺跡によって示されている。
遺跡からは土偶・耳飾・石斧や大きな壺、蒸し器などが数多く出土している。そして、竪穴式住居後からは220基もの炉が備えられている。縄文・早期の遺跡である。高度の文明が感じられる。
私はそこには、襲族(曽於族)が定住していたのは十分に考えられることであると思う。鹿児島には襲族と同族か分族が分布していたのは大いに予測できる。
それが「記・紀」の説話に反映している。天孫降臨の襲と笠沙が遺跡的には上野原とかこいノ原が比肩される。これは単なる偶然ではあるまい。ニニギ命の天孫降臨が襲の地で、直ぐに笠沙に行き、大山祇命の娘・神阿多鹿葦津姫と出会う。この説話は神話と史実が見事に結実している。
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